マスター小説「佐世保いろは」!第三話・佐世保の百合

2020年5月16日

前のお話

第二話・いろは楼の足跡

https://lacouleurs.com/2020/05/13/post-7539/

第三話・佐世保の百合

長崎県佐世保市は、大日本帝国海軍・佐世保鎮守府の歴史とともに歩んできた街。

それまでほんの小さな村だった場所にたくさんの人が集まり、海軍軍人達を相手に商売を始める者が現れ、佐世保の街は大きく栄えたのだ。

横須賀の「小松」、呉の「五月荘」などと並び称される海軍士官御用達の料亭、佐世保「いろは楼」の誕生もちょうどその頃である。

当時の佐世保にはたくさんの料亭が軒を並べたのだが、特に高級士官が行く料亭と言えば「山」と「川」と呼ばれる二つ!

「山」は谷郷町の山のほとりにある”万松楼(ばんしょうろう)”!

「川」が佐世保川沿いにある”いろは楼”の事である!

万松楼と言えば、元々”翠濤園(すいとうえん)”と言う名前で創業。

伊藤博文が佐世保を訪れた際にお泊りなって、その際「萬松楼(ばんしょうろう)」の名前を頂いたそうだ。

伊藤博文は他にも、下関ふぐ料理で有名な”春帆楼(しゅんぱんろう)”や、今は無き長崎市の”富貴楼(ふうきろう)”の名付け親として知られている。

それから数年、東郷平八郎が佐世保を訪れた際、店主が頼んで屋号を書いてもらったのだが、「萬松楼」と書くつもりが「萬歳楼」と書き間違えた・・・なんていう話も残っている!!

ちなみにこれは現在の万松楼の写真!!1945年の佐世保空襲の際建物を焼失。戦後、同じ場所に同じ名前でホテルを再建。同時に佐世保市福田町に”翠濤園 錦”と言う名前の料亭を営業していたのだが、残念ながら現在はともに営業していない。

初代内閣総理大臣である伊藤博文、日露戦争の英雄・連合艦隊司令長官の東郷平八郎など偉人達が訪れている事からわかるように、明治から大正までは万松楼こそが佐世保を代表する料亭であった!!

”いろは楼”が知られるようになったのはもう少し先!

万松楼と肩を並べるようになったのは

「いろは楼に咲く、佐世保の百合!」

『佐世保の百合』と称された、伝説の女将が誕生してからである。

佐世保鎮守府所属の船乗りは足しげくいろは楼に通うのだが、他の鎮守府の船乗りも、彼女に会いたいがためになんだかんだの理由を付けて佐世保に入港させていたそそうだ!!

佐世保の百合とは言ったものの、彼女を例えるのに、ただの百合ではやや物足りない!

もし彼女を百合に例えるならば、百合は百合でも佐世保市の市花としても知られる

”カノコユリ”

がふさわしい!!

六つの花弁がめくれるように反った大輪のユリ、それが『カノコユリ』。

いろは楼の女将は、気高さ、華やかさ、力強さをあわせ持つカノコユリのような存在感の女性。

それでいて気取った感じはない。

どんな人にでも心温まる気遣い、柔らかい物腰と愛嬌の良さ。

身分や階級にとらわれず、わけへだてなく接するところが彼女の最大の魅力だったと思う!

そういえば、こんな話があった!

あれはかなりこわもてで知られた海軍少将が部下を連れて”いろは楼”を訪れた時の事!

周りの者は緊張のあまり酒を飲む事はおろか、食事に口を付ける事も、話をする事もまともにできないでいた!!

そんな状態が続くこと1時間!!

心配した女将がお酌をするために彼らの部屋に入った。

少将の盃にお酒をそそぎながら

「料理はもういいんですか?昔は三人前をお食べになられてたのに。」

と一言。

実はこの少将!

昔昇進祝いでこの”いろは楼”を訪れた時、三人前の料理を注文したが周りの者から「今日は他所で食べてきたので料理を減らしてくれ」と頼まれた。それを聞いて「俺が食うつもりで注文したんだ!!」と言いはり、一人で三人前の料理を平らげてしまった事があったのだ。

「そんな昔の事をよく覚えてるな!!あの時はほんと腹が割けるかと思ったよ!!」

帝国海軍の中でも1,2を争うほど恐ろしい少将の顔に浮かぶ満面の笑み!

その酒の席、そこから和み、皆楽しく盛り上がった。

佐世保の百合。彼女がそこにいるだけで、なぜか自然と場がほぐれる。彼女はそういう女性だったのだ!

そう言えばそのこわもての少将、後に中将に昇進したそうです。

彼の昇進祝いの宴席は必ず”いろは楼”が選ばれていたのですが、中将の時だけは、宴席がありませんでした。

彼は戦争が始まってしばらくして戦死。中将への昇進は、彼が死んだ後の事でしたから。

日本のために、もう少し長く生きていてくれたなら・・・そんな事を今更言ってもしょうがないのですが。

部下からは、「鬼」やら「人殺し」やらとあだ名されるほど恐ろしい男でしたが、女将の前ではそんなそぶりは一切見せず!!

軍人らしいとても気風のいい男で、女将さんも親愛を込めて彼の事を「たもんさん」と呼んでいました。

 

そう!

その男とはミッドウェーで飛龍と運命を共にした、あの山口多聞丸の事です。

 

(注意)このお話はフィクションです!!

参考資料

wikipedeia(佐世保鎮守府)

wikipedia(山口多聞)

次回予告!!

第四話・現在考案中!

次回もお楽しみに!!

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